「いたっ」と杏は小さく声をあげ、顔をしかめた。タカは乱暴すぎる、と言わんばかりの視線が図南を刺すが、それを無視して彼は離れた杏の手を再びつかんだ。
「どんな指しかたしたらこんな爪になるんだよ」
 中指をとって、うつむきながら問う図南を杏はじいっと見つめて、それだけで何も言わない。図南もその爪を観察するように眺めて、それ以上は何も問わなかった。
 杏の爪は内出血して、赤黒く血の色に染まっていて、爪の真ん中や端からひびがはいるように割れてしまっている。きれいなかたちの、切りそろえられた爪。黒く固まってしまった血が痛々しくて、それでもなぜかその爪はぎらぎらと光をはなつように美しいのだ。負けのあかしと、勝ちのあかし。
 手当てのはじめは、消毒液が一滴落ちただけでもとびあがって叫んでいたけれど、いまはもうじっと耐えるように杏は手当てのようすを見ている。がまんしているだけかもしれないけれど、それでも杏は無言だった。
 すべての爪の消毒を終えると、図南は杏の指から手を離して顔を見やる。しばらく手当ての済んだ爪を見ていた杏だったが、ふいに顔を上げて図南の瞳をとらえると、静かに口をひらいた。
「対局の途中ね、爪が割れたとき、」
 ひとつひとつ区切るようにことばを告げる杏から目をそらさず、図南はその黒々とした瞳であいづちをうつようにまばたきをした。杏の、髪の色と似た色素のうすい瞳が、じぶんの瞳にはまぶしすぎるのか、あまり長くはあわせていられなかった。爪もそれと同じように、いつも彼女は自分とは反対の、きらきらした真っ直ぐな澄んだ存在で、痛いぐらいなのだ。
「爪が割れても気づかなかった、ほんきだったの。ほんきの勝ち負け」
 そのときのこの少女はどれだけ輝いていただろう。どんな色の、どんな強さの光をはなっていたのだろう。
 告げるのを終えた唇はそれ以上動かずに、つい先ほどと同じようにたたずんでいる。「ほんきの勝ち負け」を杏はどう感じたのか、図南にはうっすらとしかわからなかったけど、嬉しさも悲しさも悔しさも、そういった単純なきもちが洗い流されるような勝ちを手に入れたいと、じぶんはたびたび思うのだった。
 ばんそうこうとガーゼ、どっちにする、と救急箱を探りながら訊くと、杏はしばらく考えて、いらない、と短く返事した。結局どっちでも良いのだ。杏のそういう部分は、将棋への想いとおんなじで何一つ変わってない。変わらないものと変わるものの、密かに変わっていくものだけがきらきらしていればもっと杏は輝けるのに。
 おまえの爪より俺のこころの方がいてぇよ、と図南はちらちらまだ輝きを残す頭で考えながら、静かな溜息をついた。





#爪-おうがり
110420

この2人かわいくてすき










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