目のはしにまっしろな十字架がちらついていた。
 清らかな夜であった。何かの儀式がとりおこなわれるように、汚れのないテーブルクロスと、明かりの灯っていないろうそくと、ナイフとフォークとが、狂いもないきれいな置きかたをされ視界にうつる。
 へやに残してきた兄の顔が脳裏にうかびあがって、頬にふれたときのそのあたたかさとやわらかさが僕を幸福にさせる。僕たちは世界でふたり、何かであることを許されない。それでよかった。たとえ彼が悪魔でなくなって、それでも僕たちが何かを得ることができなかったとしても。ふたごであること、僕らがふたりだけであることが重要なのであって、それ以外はこの世界でなんの意味ももたないのだ。
 木箱から先が丸く赤いマッチをひとつ取り出して、その箱の側面とマッチとをいきおいよく擦った。ぼうっと、暗闇の中に小指の爪ほどのちいさな火がうまれて、それは僕を不気味に照らす。悪魔みたいだ。それならそれでよかったと、じぶんでおどけたようにおもってみてそれからなんだか悲しくなった。
 机の上にならべられたろうそくに、マッチの火をゆっくりゆっくりちかづけて、でもやはりなにも反応はうまれない。火がつくことも、消えることもない。
 役立たず、と、ぼそりこころでつぶやきそれから、右手を一振り二振りしたところで火は消えた。空気が燃えたいやぁなにおいが僕の鼻を攻撃してくる。ただ不愉快なにおいだった。
 次に僕は、フォークとナイフをほとんど音をならすことなく持つ。皿もなければたべものもない、いま両の手にしているものは役目をなくした銀だ。まっくろな闇の、月のひかりもはいらぬこのへやでは、反射して光ることもできないのに。
 役立たずだ。二回目。
 目標に興味をなくした幼子がそれを放ってしまうように、ぽいと机の上へ捨てるように置いてしまう。カランカランと、ふたつぶんの音がして、もうそれだけ。
 さいご。僕は成す術をなくした。もともとさいごの手段など用意していなかったからだ。
 ぼくはまだこどもだった。兄を守るなんて、神への冒涜とでも言うべきなんだろうか?それとも悪魔か?
(ああ、兄さんにふれていたい)
 焦がれている。愛に、恋に、あたたかさにぬるさに、ぬくもりに。どんな感情でもいい。僕はなにかを手にしていたい。
 なみだがあふれるよりはやく息がもれた。
 荒くなった呼吸が僕がいま生きていることを痛々しいほど証明させていた。
 わなわなふるえて空気をもとめない唇が魚のようにひらいていって、喉の奥のひらがなを読み上げる。
「かみさま、ぼくはいったい」
 神様。
 ゆるやかに、カーテンが、レースをともなって、さざなみのようにゆらゆらゆれて、神様のお吐きになった、清らかな吐息が、夜の冷たさといっしょにはいりこんで、また僕たちは、息をする。
 兄の手は真っ白だった。雪のよう。手触りのよい、絹のはだ。手と手を絡ませあって、僕たちはひとつになる。ゆきお、あのひまわりのようなえがおで僕の名を呼ぶ声を、おもいかえして。
(僕は知ってるよ)
 この世界から去る方法を。僕たちが僕たちである以外にいられる方法を。
 純白の十字架をつかまえて、ままごとのようなことばをささやくのだ。愛を確認しよう。きっと、僕ならば、僕たちならば。兄さん、僕は誓うよ。





#さようならかみさま-あおえく
1108〜

ふたりぼっち










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