口のはしから血が流れて、ぬぐわれないそれはそのままあごのほうまでつたっていく。
 図南は暗い眼差しを彼にむけて鉄の味を口内にかんじていた。きもちのいいものではなかった。
「おまえはいつだってそうだ」
 薄ら笑みをみせながら図南の視線をひとつも気にしないようすで曰佐は目を細めた。図南は心底この顔がきらいだとおもいながらも彼の顔から目をそむけない。そろそろ流れ落ちてしまいそうな血がこそばゆくて、右手をのばしてしまいそうになった。でもここで動いては負けだとおもったのは本能だった。
「気に入らないのはお互い様じゃないのか?タカ」
 その声のトーンと、いやになるほどの眼光、いつか俺は泥沼にひきずりこまれてしまうんじゃないか、と錯覚するほどなのだ。
 ちいさく開いたままの、それだけの唇からは音が発せられない。まだ目にみえるほどの震えがなくてよかった。壁にぶつけた右の頬がじんわりと痛み、震えを抑えるのだろう。感覚を研ぎ澄ませなくとも頬がやわらかな熱をもっているのがつたわってくる。ただ辛いだけの痛みではない、いろんな負がつまったように腫上がった痛み。
 曰佐のいつも身に着けている着物さえどこかじぶんへの当てつけのようにみえて、怒りや苛立ちがこみあげた。ふつふつ、いつも俺のなかでねむっている。こころの痛むところ。
 口元から笑みを消して、でも真剣なようすなど微塵もみえない表情で曰佐は俺にことばをなげた。
「このせかいでも、負けるんだな、」
 お前。そうやって引き継がれることばが悪意をもって光るナイフよりも、ぎりぎり音を立てて待ち構える弓矢のような強靭さをもって俺におそいかかる。
 荒くなる息を置いて、胸ばかりがはやくどくんどくん、波打ってじぶんの体でないようだ。
 幼い杏のすがたが重なるように彼にみえ、めまぐるしく何色にも彩るそれに強くまぶたをとじた。そうやっておまえまで俺をせめるのか?
 曰佐が足音を鳴らしながら、もうそれ以外のことばも雑音も聞こえなくなって、おおきくじぶんのなかで響いた。カツン、カツン。目をとじてはいけない。彼の広い、砂漠みたいな荒地に連れ出される入口、それとも出口なのだろうか。
 そっと、手の甲で口元をぬぐう。その手は、微かに震えていた。
 俺には盤上の草原のような闇と、美化されたそれだけがあれば。
 血脈のようについた血のあとが俺を引き剥がした。どこもかしこも現実だらけで嫌気がさす。いつまで経ってもここは、美しくならないんだな。





#ねむる分身-おうがり
110724

暴力的ほもをかこうとして失敗しました










inserted by FC2 system