フェルト・グレイス、とその先に宇宙がひろがる大きな窓の前の、後姿に声をかけた。
「ティエリア」
 少女はふりむきながら彼の名をおなじように呼ぶ。その手のなかにはちいさな花が二輪あって、少女のまだ幼い姿によく似合う、小ぶりな花弁だった。
 大きなガラスの窓しかない部屋には明かりがついていないので、その窓からみえるどこか遠くの星と、ちいさな地球の光しかはいってこない。真っ暗なそのなかでたたずむ黒い髪の少女は、(彼女からみるとじぶんもそうなのかもしれないが)意識をそらせばすぐにでもみ失ってしまいそうだった。
「こんなところで何をしている」
 そう問うと、まるい瞳をニ三度ぱちぱちさせてから少女は、何も、と答えた。
 何もない、と言うのにも関わらず少女は二輪の花を手元でゆらゆらもてあそびながらふたたび答えはじめた。
「この花を宇宙に放る方法を、考えてるの」
 その花を宇宙に放る方法?と、ティエリアが繰り返して言うと、うん、とフェルトは首をふった。
「きょうはわたしのパパとママの命日だから」
「君の両親の?」
「そう。あまり覚えていないけど、宇宙で死んじゃったって」
 だから、とフェルトはそう言ってティエリアにまた、背を向ける。
 少女の背中は広大な宇宙をむこうにみるとあまりにもちいさくて、背中を押せばガラスなんてものはとびこえて宇宙の彼方にまで葬られてしまいそうだった。彼女の両親と同じ死に場所、ティエリアの頭にふと一瞬そんな言葉がよぎるが、それは良心的でない、と浮かんだときとおなじようにすぐ消えていってしまう。
 彼女はいま地球に降り立つことを許されていない。完全な完成間近のガンダムにも搭乗するわけではないし、宇宙に両親に花を捧げる、なんてことはあまり簡単にはできないことなのじゃないだろうか。それは彼女もわかっているはずだけれど。まだ10歳近くのこどもには、あっさり無理だと受け入れるには辛い現実だ。
 手が届きそうな宇宙で、遠くて遠くて届かないのがその頃の宇宙なのだった。





 ティリアは、僕が変わりに捧げてやるとも言えず、あれからもう6年近い年月が流れ、彼女は18歳になった。ティエリアがあれからのフェルトについて知るのは、あの後すぐに黒かった髪の毛をピンクに染めてしまったということだけだ。
 ヴェーダもこの場所にないいま、彼女の両親の命日など覚えているはずもない。いまもまだ、彼女は両親に花を捧げてやれていないのだろうか。


 展望室の窓の前にはあの頃よりも大きくなった背中があった。まさにあの6年前とおなじ光景だった。
「きょうはね、パパとママの命日」
 部屋に足を踏み入れてからフェルトはこちらを一度も伺わなかったのに、ティエリアが言葉を発する前に、彼女は喋りはじめる。光景や情景はおなじでも、彼女はもう少女ではなく、ひとりの女性で、フェルト・グレイスなのだ、とティエリアは感じた。
「何年か前にも、こんな会話したね、まだガンダムがひみつだったとき」
 フェルトが少女だったとき、ティエリアがにんげんになりきれていなかったとき。
 くすりと微笑みながら振り向いた彼女の横顔は、もうあの頃とは違うとはっきり思わせる表情で、このへやで変わらないのは宇宙のかたちと地球のかたち、それだけだ。手に持つのは三輪の花で、また彼女の手の中でゆらゆら揺れていた。
「フェルト、君はあのときからまだ、宇宙に花を捧げてやれていないのか」
 揺れる花から彼女へ目線を変えれば、自然に口から言葉が出ていた。
「ううん。一度だけ、ロックオンにガンダムから放ってもらえたの。一度しかできなかったけれど」
 それでもパパとママは喜んでくれたらいいな、フェルトが考えていることが、前とは、6年前とは違って不思議と考えなくても浮かんでくる。ロックオンのことも思い出して、彼女の瞳が揺れていて、そこにはすぐに涙がたまってしまいそうだけれど我慢している、ということも。
 じぶんが悲しいなんてものをわからなかったときから、少女のときからこの目の前の彼女は悲しかったのだ。じぶんよりもはるかに宇宙と世界を知っていた。それが悔しいなんて思わなかったけど、いまはとても悲しいことなのだ、と気づける。
「あのときは言えなかったけれど、」
 ティエリアは静かに声を発すると、いつもと違う穏やかな音程で、ゆっくりと続けた。
「今度は僕が変わりに花を捧げにいく。…僕に花をあずけてくれないか」
「ロックオンの、変わりに?」
「ロックオンの花も一緒に、だ」
 すっと手を差し出したら、フェルトはにこりと美しく微笑んだ。
「ありがとう」
 ティエリアの掌に三輪の花が置かれて、それぞれ違う色と、おもさと、おもいを持っているけれど、どれもフェルトの孤独には違いないのだ。今度は僕がそれを、きょうこの日だけでなくこれから僕が存在する限りずっと、葬ってやりたい。彼女の存在にはあまりにも皮肉で痛々しい美しいそれ。愚かな美なんてものはいらない、フェルトには強さがあって、ソレスタルビーイングがある。それは彼女の強さにもなるし、美しさにもなり得る。思い出すたび少しずつ溜まる孤独は醜いものと、宇宙に誰かが放ってやるだけ。
 後ろにたたずむ宇宙の、黒い闇が、真っ暗なこの部屋におそいかかるけれど、もう彼女をみ失うなんてことはありえない。だって、彼女の髪はピンク色なのだ。





#彼女はここにいて、宇宙はそこにある
110422

このふたりはお互い欠かせないと思います










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