「デートしよっか」

 突然そう言い出したのはほかでもない、御幸だった。

 練習後一方的に告げられ、返事もしないままお互い部屋に帰って、お風呂に入り、歯を磨き、などと就寝前の準備を色々とこなしてさあ寝るぞとベッドに入った時、気づいたのだけれど、僕たちには自由な時間がそんなにない。朝は朝練、昼は学校、学校が終わればまた練習。練習後もたいてい自主練習をしているけれど、その時間を削ってまでデートなどと浮かれたことをしている場合ではない。結局、あの言葉はいつもの冗談だったのかもしれない。そうは思ってみるものの、彼があの言葉を告げた時の顔が妙に脳裏に焼きついていて、目をつむると浮かんでくる。そしてそのまま、深く布団をかぶりその日は眠った。


 寒い、と隣でたっぷり服を着込んだ御幸が声を震わせて言う。北海道で育ってきたので、夏の東京の暑さには正直こたえたけれど冬は暮らしにくいということは全くなかった。対して御幸が寒さに弱いらしいということに秋の終わりのころにはもう気づいた。冬になってから彼から寒いという言葉を聞かなかった日はないし、見るといつも太ったかのように服を着込んでマフラーをぐるぐる巻いていて暑苦しいくらいだ。それでも彼は寒い寒いと言う。
 どこかで鳴く鳥の声がちろちろと聞こえた。空はまだ暗くて星が見えそうなほどだ。空気はもやもやと白く、肌に触れるとびりびり痛いほど冷たい。吐いた息は煙のように白くて、寝ぼけたままのぼうっとした頭もあいまって、早朝だということが身にしみてわかる。
 かたわらの先輩がわざとはあと息を吐くと、すぐに空気は染められたように真っ白になった。御幸の顔は朝靄のように白く、頬の鼻の先は寒さのせいか赤い。触れなくても、とても冷たいのだろうということがわかる。わかっていても、彼の冷えた頬に、触れたいと胸の内で密かに思った。
「俺、寒いのきらい」
「…知ってます」
 唐突に宣言されたものの、宣言されなくても青道の野球部員ならば誰でも知っていることだろうと思う。
 僕たちはこうしてわざわざこんな早朝に御幸先輩が言うにはデートというものをしているわけだけれど、彼が冬の朝を苦手としているのは言われなくてもわかっていた。それでも彼は、会うことに対しては何一つ文句を言ってこない。寒いだの眠いだのぐちぐちと愚痴はこぼすが、僕たちのデートに関しては何にも言わない。文句も愚痴もそのほかも。僕たちは決められた曜日、決められた時間、決められた場所で、誰も知らないデートをしている。

「お前はさ、寒いのすきだよな」
 北海道だし。となんだか意味不明な理屈を言われて、寝起きだということを思い出した。この人は普段、へらへらとしながらも口がうまくてよく言い負かされるけど、朝寝起きのときは口数が少ないしとぼとぼした口調だし、よくわからないことを言い出す。これは、デートをするようになって発見したことだ。
「別にすきじゃないです」
 言ってしまってから、若干拗ねたような言い方になってしまったと悔いた。
「でも寒いの得意だろ。夏はあんなにへばってたのにさ」
「北海道だから」
 すかさずそう言うと、御幸は白い息を吐きながら笑った。
 着膨れで重そうな腕を持ち上げて降谷の頭をなでる。なんだか犬みたいに扱われているような気がしてならないけれど、先輩に頭を撫でられるのはとてもすきだ。すごく心地よい、と思う時点でもう犬なのかもしれない。
 先輩はそのまま僕の手をとって、恋人のように繋いだ。想像していたように手は氷みたいに冷たく僕の体温を奪う。手を結んだ時いつも、彼は親指の腹で僕の親指のあたりの出っ張った骨をずっとさする。多分癖なのだろう。むずむずとこそばゆいがきもちいい。
 彼は手を結んだまま話し始める。
「じゃあ俺たち、一緒に暮らせないな」
 唐突な言葉の真意がわからなくて、彼の次の言葉をただ待った。
「もし世界が、暑いか、寒いかしかなくなったら」
 親指の動きがゆるりととまる。
「我慢してくれる?」
 あたりはだんだんと靄が晴れてきて、早朝の空気のつまった感じが去る。薄桃色と水色の混ざり合った色の空が雲とともに流れ、まぶしすぎる朝日に徐々に侵食されていった。ふたりの密着した手はいつのまにかあたたかく、凍ったような冷気の中ではとても不釣り合いであった。
 時間が過ぎたけれど、御幸の言葉になんて返したらいいかわからない。わからなくて、その手をぎゅうと握りしめた。もしかしたら痛いかもしれない。知りたいことはたくさんある。先輩も我慢してくれるんですか。僕のためなら寒いのだってずっと永遠に我慢してくれるんですか。僕たちはそうやって我慢してまで一緒に暮らすような関係なんですか。
 喧騒の中過ごす日常から切り離された、ふたりの息遣いしか聞こえない今、ほんとうに世界でふたりだけのようだ。このまま結んだ手の体温がこの空気に伝わって、あたたかさに包まれればいいのになんて馬鹿みたいなことを考えていた。







#A.M.6時の世界
140210











inserted by FC2 system